Tôkai?という片隅

東海地方田舎に住む20代ゲイが音楽や旅行、持病の脊柱側弯症、人生観のことなど日々感じたことを書いてゆきます

脊柱側弯症のこと(自己貯血4回目、5回目、術前検査)

間が空いてしまいました。

現在入院中の病室から書き込んでおります。

術後PCを触れる気力がなかったことと、はてなのパスワードを失念していたことが原因です(笑)

 

さて。過去の話をさかのぼりつつ、現在に追いつけたらいいなと思います。

怒涛の更新ラッシュになる、かも。

 

(自己貯血4回目)

9月28日、いつもの手順で血を抜きました。

もはや4回目となると針の痛みとかその後の造血剤の気持ち悪さには慣れてしまうところで。

とにかくこの日は名前を呼ばれるまでに時間がかかった印象が強い。

そしてさっさと血を抜いて、入院準備の説明を受けて、終わり。

貧血状態ではないもののヘモグロビン数値は順調に下降しており

貯血後、大学時代の友人と豪快にイタリアンコースランチを食べたら

ふらふらしてしまいました(笑)

 

この2週間後に職場の仲間とプチ山登りしたのですが、

とにかくずっとマラソンをしているような感覚で息の上がり方が尋常ではなかったので

血液がいかに体にとって必要かを再確認できました('_')

 

 

(自己貯血5回目と術前検査各種)

10月13日。この日は貯血もそうだけど、

怒涛の術前検査ラッシュと夕方に主治医の先生からの説明で、午後1時から夜まで半日かかりました。

最後の貯血は感慨深いものがあり、「ああ・・・これで2リットル預けたんだな…」としみじみしていましたが、ヘモグロビン数値は男性の貧血値と言われる「13以下」のちょうどギリギリ「13.0」だったようで、鉄剤の処方もなく、このまま貧血にならぬよう健康的な食事に気を遣うよう言われました。

 

術前検査は、横になって背骨を引っ張った状態でのレントゲン撮影や、肺活量、エコーなどの検査をしました。

肺活量の検査は鼻をクリップで止めて、検査してくれるお姉さんの言われた通りに

吸って、吐いて、止めて、また吸って。。。といったもので

自分の肺活量の弱さに驚愕…お姉さんが「んー、まあこんなもんですかね」とあきらめムードになっていたのが申し訳なく感じました(´;ω;`)

 

最後に、主治医の先生からの有難いお話。

家族同席での説明を受けるとのことで、

父、妹は仕事で来れなかったのですが、

母、姉が一緒に聞いてくれました。

 

主治医から、骨をどこからどこまで止めるのか、

術後角度がどれくらいまっすぐになるか

これから手術をするうえで、麻酔や出血、感染のリスクがどんなものがあるか

話をされました。

これは5月の検査入院のときの説明でも同じようにあったわけで

僕と姉は淡々と聞いていたのですが、

母がとにかく「えっ!」「そんな・・・」「先生、こわい・・・」等とリアクション芸人並みの反応をするので、先生も苦笑いで、最終的には「お母さんが手術するわけじゃないから(笑)」とあきれてました(笑)

 

そんなこんなで、入院1週間前と迫り、少し気が引き締まる思いとなりました。

 

 

 

 

 

脊柱側弯症のこと(自己貯血1回目~3回目)

2016年7月上旬。

はじめての貯血。400ミリ…。

たくさん水分をとるように言われ、

終わったら立てないんじゃないかと不安になりながら、

 

まずは貧血状態じゃないか、血液の問題がないか、

採血を実施。

 

毎度座るように促され「血採ると倒れちゃうんです」と言い

「あああ…そうなのね」とベッドを空けられる

健診でもこんな感じで、やっぱり少数派みたいです

 

無事採血。やっぱ痛い~…

血の問題もなく、

貯血待ち。こういうとき。無駄に待たされるんですよね~

 

1時間ほどで名前を呼ばれ、

いろいろ説明を受け、丸めたガーゼを持たされ、

「軽くにぎにぎしててね~そうすれば早く流れてくから」と。

スマホで音楽聞いてるのOKとのことで

ハロプロのライブ映像を見ながら、音楽に合わせて8ビートにぎにぎしてました(笑)

15分くらい?で終わって、

思ったよりも針は痛くなかった印象です。上手だったのかな?

それよりもそのあとの造血剤が早く流れていく設定で、

針さしたまま今度は逆流していく感じが、気持ち悪くて、、、

終わった後はちょっとぽーっとしている感じ。

貧血状態にもなく、血圧も問題なく、鉄剤の処方はありませんでした。

午前中に血とったんですけど、昼食は軽めにとのお達し。

あんまり食べ過ぎると、血糖値があがってくらくらするとのことでした

 

親が送迎してくれ、帰りにサンドイッチを買って帰宅。

その日は金曜だったので、土日はぐたっと寝てました。

貧血状態ではないと聞いていたので階段とか駆け上ってたのですが、

やっぱり息が上がりやすくて疲れやすい印象。

400とっただけでこんな状態になるなんてひ弱!!と思うけど

しょうがないよね~(´・ω・`)キショガリですみません…。

 

そんなこんなで終わった1回目。思ったよりも大丈夫でした。

前夜に元カレに励ましてもらったのも余計な心配をかけてしまった(笑)

 

…と今日の時点で3回目まで終了。

2回目は針を刺したところがあざがしばらく残って

3回目は慣れてきました(*´▽`*)

やっぱりしんどくなりやすいけど、日常生活は問題なく過ごせています。

あと1か月で手術…。仕事が終わらないことが今の悩みです( ;∀;)

 

 

 

 

 

 

脊柱側弯症のこと(再診と手術の日程の決定)

6月下旬に再診し、Drに家族と話し合って手術を決意した旨を報告。

Drは「そうですか。では手術の日取りと説明を始めましょうかね」とあっさり。

夏休みは学生の入院が殺到しているとのことで、

9月~か、10月~のどちらかの選択を迫られました。

仕事の休みのことなどいろいろ鑑みて、

入院開始日は10月21日から、手術は10月24日に決定。

手術の際に,大量の流血をし、貧血状態になりうることから、

輸血が必要とのこと。

そのため、手術までの4か月間に「自己貯血」をして準備していくことに。

 

輸血というと、テレビドラマとかのやつだと

家族とかからもらうイメージでいましたが

血縁関係だと感染する可能性も高い?らしく、自分の血液、自分で補給するほうがリスク回避できるらしいです。

 

僕はAB型で、姉も妹もAB型なのでちょうどいいと思ってましたが、そうもいかないようです('_')

 

というわけで、入院の日取りまでに、400㍉㍑×5回=2㍑保管しておくとのこと。

 

2リットルて!!!!!|д゚)

 

それでも…術時に足りなくなるらしい。

恐ろしや側弯手術。。。

 

僕はこれまで献血も未経験でしたし、

10㏄とかの血液検査でさえも、座ってされると迷走神経反射のせいで意識飛んでしまう系男子で

もう怖くて怖くてしかたなくて…。

400ミリも採ったら死んじゃうと思って

念のため今年の夏休みはすべて貯血日に合わせて調整しました( ;∀;)

 

7月上旬、8月中旬、9月中旬、9月下旬、10月中旬に400ずつ。計5回。

血を抜いた後はそのまま造血剤の点滴をして帰宅。

3回目くらいから貧血状態になるため、数値によっては鉄剤を処方されるそう。

 

予約を入れて、いろいろ日取りも決まって

いよいよ本格的にはじまっていくんだなあ…と少し緊張していました。

 

脊柱側弯症のこと(手術希望と検査入院、家族への説明)

自分で側弯症の手術を受けることを決めたわけだけど、

簡単に受けるといっても、

 

全身麻酔して、背中大胆に切開して

血液だらだら出る中で、骨に添え木するような手術になるので

リスクも含め、なかなかの大きな手術になります。

 

病院側の方針としては、家族には説明責任があるとのことで

両親は必ず同席したうえで、リスクについても納得してもらい

手術の実施を決めていくとのことでした。

 

2016年5月に設定され検査入院では、2泊3日の造影剤注入で骨の動きや血液の動きをみる?検査でした。造影剤による体調不良のリスクもあることから、

剤を除去していく?点滴も2本受けるため2泊3日というコースでした。

 

造影剤を注入したときは電撃が走るような痛みが走り、検査のあとは

ぐったりした状態で車いすに乗せられ、「ああ…これが病人というやつか…」と思い知らされましたが、

入院中の3日間は何もすることがなく、造影剤による体調不良も心配していたよりもずっと、というか全く出てきませんでした。

 

とにかく退屈であったこと、持ってきた映画を見ても全然楽しくなくて

「入院ってこういうやつか…」と思い知らされたのを覚えてます。

大好きなアニーがtomorrow唄うのもイライラしてきてしまって(笑)

あまりに暇すぎてこっそり病院回り散策してました\(^^)/

 

術後はこんな悠長なことを言ってられないくらい何もできないと思うと今から憂鬱でたまりません(笑)

 

そして造影剤による検査結果と家族への手術説明のために仕事を休んでくれた

父、母、姉。Drからの手術のリスクを説明されビビる家族一同。

まあそりゃ親としては心配だよね…。

「やらなくていいなら、そのままでも…と私は思ってるんだけど」と母。

その場で家族の快い同意は得られず、Drも「またゆっくり話し合ってください」と終わりました。

 

そのあと、ぼくも悩んだり、じっくり考えましたが

ずっと長い間悩んでいたこと、思えば「まっすぐ立て!」と言われてもできなかった中高時代、いつの間にか隣のレーンに到着してた水泳授業。

今の腰への負担、痛み。。

いろいろなこれからのリスク、ゲイとして一人で生きていくための覚悟としても

今、このとき手術をやりたいと決めました。

その気持ちを、きちんと話そうと思ってたら、家に帰った母に「どうせあなたの中ではもう決まってることなんだよね」「あんたがしたいならそれを応援するよ」と半ば嫌味まじりに、だけど確かに手術について認めてもらうことができました。

 

 

そして余談かもですが、

Drからの話では、

「普通の男性にはあり得ないくらいの骨の柔軟性。これで痛みや側彎をカバーしていた。」「骨も女性的」と言われ

カミングアウト済みの家族の表情はみんな苦笑いでした(笑)

脊柱側弯症のこと(2回目受診)

2016年2月下旬。

次の年度の異動もほぼ確定している中で、

2回目の受診。午後2時頃だったと思います。

前回と同じようにCTを撮ったのと、MRIで染色体異常がないか、骨の質?なども調べりため実施。

角度は

 

46°

 

前回から8°進行していました。

手術(=進行する可能性がある)のボーダーラインに入りました。

 

僕が目を丸くしているとDrは「まあまあこういうことはありますよ」

と話したうえで「そうか…でもこれはなかなか辛いね」と。

腰の骨の質も弱く、側弯症による負担のものかはよくわからないけど

腰の痛みの原因も分かりました。

 

Drは前回とは打って変わって「で、手術希望するんでしたっけ」との話。

 

僕は色んな心配もリスクもあったけど、

10代でやることの多い手術をこれからの進行の可能性も怖がりながら、30代、40代と

年を取っていく中で考えていく方がリスクが高いと思っていて。

職場も近く、上司も理解がある人であることから、

今のうちにしっかり骨を治して、これからのリカバリーを若いうちにしたい!

という気持ちが強かったので、手術の希望をしました。

脊柱側弯症のこと(総合病院の初診でのレントゲン)

2015年12月上旬。午前10時ごろの診察時間でした。

Drはさらっとした感じの若そうに見える男の先生でした。(割と好きな感じ)

名前が同じこともあり勝手に親近感を覚える僕(笑)

ちなみに看護師さんは酒井若菜に似たきつめの女性でした(^^)(割と好きな感じ)

 

初めての受診では、これまでの側弯症と気づいた時期や症状などを聞かれました。

前回記述のブログに書いたようなことを先生にも説明したところ、

「まずはレントゲンを撮ってみましょう」「精密な角度も分かるので」

とのことで、さっそくCT。そのときの角度は38°

「この状態なら手術はする必要ない」とのDrの見解。

思春期のときに進行する側弯は成長期後進行することはないと考えられているが、

一般的に今の研究では40°を過ぎてくると今後の進行も「ありえないわけではない」とされており手術可能の対象になってくるそう。進行することによって考えられるのは、内臓への弊害などと言う。

 

僕は正直このときショックでした。

気になっていた側弯症が「手術のライン」ギリギリアウト。

なるほど…。じゃあこの湾曲とはこれからも付き合っていくしかないのね…。

と思っていたら

Drから「まあもう1回撮ってみましょう」「夕方になると進行してくるかもしれないし」

 

…?

 

夕方に側弯症患者が疲れが出てくるのも、角度が進行していることがあるから

とのこと。

 

次回の予約をとって、その日は帰りました。

 

次回予約は2月…。また2か月も先か…。と思いながら、まあ手術は無いんだろうなと

あまり考えないようにしていました。

 

脊柱側弯症のこと(受診に至るまでのきっかけ)

みなさんは「脊柱側弯症」という病気をご存知ですか?

詳しくはwikiっていただければ結構なんですが、

まあ簡単に言うといろんな要因があって、

生まれつきだったり、成長期のある時期に発症することが多い背骨が湾曲する病気です。

 

僕の場合は

成長期に何らかの原因により湾曲してしまったらしく、

本来は学校の健康診断などで発覚するらしいですが

なぜかスルーされ、自覚もなく、

22歳ころ、風呂上りの上半身裸でいるときに母に「あんた、そんなに背骨曲がってた?」と指摘されたことから判明しました(笑)

 

その後いろいろネットで調べたり、近くの整形外科でレントゲンを撮ってみたりしましたが、成長期を終えた当時になすすべはなく、「まあ角度も大したことないから対症療法しかない」と言われていました。

実際に当時痛みもなく、対症療法(痛くなったら湿布的な助言だった)できない以上は興味もなかったので、いったん考えることをやめていました

 

しかし、周りから指摘されることは続いて、やはり裸になったとき見た目的な意味で気になってはいましたし、整体で治るのかとか、ヨガ運動することでまっすぐになるかとかいろんな情報操作に惑わされていた時期もありました

 

「気になる期」は不定期に訪れてくるものではありましたが

実際に長時間労働が腰の痛みで続けにくくなったり、登山した後の腰の痛みも

顕著になってきて、それが側彎によるかはわからないものの、しっかり調べてみよう、と大きな病院を予約したのが2015年8月。有名な側彎症の医師がいる場所であり職場からも近かったこともあって選んだのですが

やはり人気もあってか初診が12月(!)。

25歳の冬に3年ぶりの整形外科を受診しました。